RANZAN COUNTRY CLUB

嵐山カントリークラブの歴史

1962年10月21日、嵐山カントリークラブは開場いたしました。初代理事長である天野健雄氏は「クラブ設立の心はみんなでゴルフを楽しもうということで、創立役員はいずれもローハンディキャップ保持者のアマチュアであり、またゴルフ達者の愉快な東雲ゴルフクラブの同好の志でありました。」と述べています。以来50余年の間、時代の波に惑うことなく創立当時の理念を大切に守って運営されて参りました。これを支えてきましたのはクラブ会員のゴルフへの尊敬と愛情の為せることと理解をいたしております。21世紀のゴルフクラブ運営におきましても、ゴルフの原点と伝統を重んじて、より良いクラブライフを求め、メンバー主体の運営を行うことでありましょう。嵐山カントリークラブの歴史は創立時から現代まで、普遍の信念によって保持、継続されています。

コース設計者

小寺酉二 Kodera Yuji

兵庫県生まれ(1897年~1976年)。慶応大学を卒業後、米国プリンストン大学に留学。留学中に赤星六郎にゴルフの指導を受け、戦前は日本アマ、関西アマ選手権などで活躍。戦後はJGAの重鎮として国際競技、ルールなどの面で日本のゴルフ界の国際化に貢献し牽引。またコース設計家としても希有な才能を発揮し、相模原ゴルフクラブ、軽井沢ゴルフ倶楽部、狭山ゴルフクラブなどのコース設計に携わる。

自然の地形を生かしたコース設計

欧米の多くのコースでプレーした経験から、ゴルフの伝統と本質を良く理解した小寺氏は氏独特な「古典的なイングリッシュスタイル」をテーマに7つのコースを手掛けている。嵐山カントリークラブで見られる左右の傾斜と前後のうねりというアンジュレーションや小さなマウンドを持つフェアウェイは氏の設計思想の面目躍如と言われるに相応しい仕上がりとなっている。アウトコースは比較的穏やかな起伏のホールが続き、インコースはダイナミックな地形が続き、プレーヤーに覚悟と技術、そして戦略を求めてきます。地形を生かした設計には各ホールに明解な個性があり、グリーン周りの仕上げにも設計者の細かな意図が感じられます。技術と戦略、ゴルフの真髄が表現されたこのコースにはゴルファーを長年にわたって飽きさせない高度な魅力が隠されているようです。

また古くは日本ジュニア選手権(1965年~1970年)を開催。1976年には関東オープンを開催され尾崎将司が優勝。1984年には日本オープン選手権(優勝 上原宏一)、近年では2006年に日本シニアオープンが開催され、友利勝良との熱戦のなか中島常幸が優勝。2018年には日本女子アマチュア競技大会が開催されました。ほかにも毎年のようにアマチュア競技が多数開催され、アマチュアゴルファーの憧れのコースの1つとして多くの方々の記憶に残ってきました。これまでも、そしてこれからも嵐山では多くのドラマが生まれていくことになります。それがこのコースの誇りであります。

クラブハウスについて

天野太郎 Amano Taro

広島県生まれ(1918年~1990年)。フランク・ロイド・ライトに学んだ日本の建築家。国内外の大学で教鞭をとりながら、建築設計活動を続ける。1950年、目黒ヶ丘教会の設計のために遠藤新建築創作所に出向。遠藤新は帝国ホテル建築においてライトの助手として活躍。その縁で天野はライトの下に遊学。帰国後に嵐山カントリークラブの設計を担当。戦後のモダニズム建築の旗手として活躍。現在このクラブハウスは世界的組織DOCOMOMOに選ばれている。

photo/A.Kawasumi

DOCOMOMOに選定された日本唯一のクラブハウス

嵐山カントリークラブの価値のひとつはこのクラブハウスだ。あらためて「DOCOMOMO Japan」に選ばれた建築物であることを確認しておく。「DOCOMOMO」(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighborhoods of the Modern Movement)この組織の目的は20世紀の建築における重要な潮流であったモダン・ムーブメントの歴史的・文化的重要性を認識し、その成果を記録するとともに、それにかかわる現存建物・環境の保存を訴えるための国際的学術組織。1988年に設立。その日本における組織が「DOCOMOMO Japan」。その国際的な組織に嵐山カントリークラブのクラブハウスが選ばれている。この設計を担当したのが建築家・天野太郎だ。そして氏の師匠となるのがかのフランク・ロイド・ライトだ。

グッゲンハイムに似ている

ニューヨークにあるグッゲンハイム・ミュージアムはライトの代表作の1つとして高く評価をされている。そのグッゲンハイムに嵐山は似ている。嵐山では緩やかな円が所を変えて重なり、あるいは配置され、グッゲンハイムでは重層的に構成されている。グッゲンハイムは螺旋状という特殊さゆえにプラン承認から10年、1959年に完成。嵐山の開場が1962年。あらためて同時代であることに気づかされる。
取材協力・メグロ建築研究所 平井 充 山口紗由